>>331 > なぜ? 字音假名遣で振ってあっても、見當つけて讀めるよ。たとひ子供でもね。
読み方を答えさせる場合は、表音的表記でいいんだよね?
戦前はそうではなかったが。
> 昔の人はさうやって獨習した。
一生書くことはなく、辞書検索にも使わない字音仮名遣を習得する意義は?
> 現在の新かな見出しの辭書だって歴史的假名遣を記してある。
あくまで参考のため。簡便な辞書では省略したものもたくさんある。
戦前の辞書が、字音仮名遣も含めて、歴史的仮名遣を省略することは決してできなかった。
> だからとて、字音假名遣で書けとか漢字で表記するなといふ意味ではさらさらあるまい。
戦前も、字音は漢字で書け、仮名に開くなという意味ではなかった。
和語の仮名遣と字音仮名遣とが区別されたことはない。
> どう書くかを憶えるのだから、漢字の語は漢字で書くだけのことで、
> 字音假名遣を修得する必要はあまり無かったと見るのが理の當然だよ。
「字音仮名遣は別だ」から習得しなくてよいとされたことは一度もない。
> 事實、戰前の假名遣批判を見ても、字音假名遣への批判は少ない。
師範学校を前身とする教育学部の図書室には、戦前の資料が残ってるから、見てごらん。
現場の教師たちは、仮名遣の指導には気を遣うとしばしば訴えているが、実際の内容はといえば、字音仮名遣についての意見がほとんどだ。