>>159 >>表音式にしたところで、「いう」なのか「ゆう」なのか「ゆー」なのか、
>>「おおきい」なのか「おーきい」なのかと云ふ問題はつきまとひます。
>>撥音には搖れがあるため、どちらにせよ書き言葉獨自の體系を作らざるを得なくなりま
す。
159わ表音式が、必ず揺れお許さない体系と決め付けている。
しかし、表音式にとって、発音が揺れているなら表記が揺れてもかまわないとわ考えてい
ない。
つまり、表音式に限らず表記体系が揺れお許さないと決め付けている。よって表記に対す
る理解が甘い。
>>そして、表記を簡單にした分、文法が複雜になります。
>>いわない いーます ゆー ゆーとき いえば いえ いおー いって
>>これが一語の活用とはとても思へません。
言語の観察結果である文法としては、複雑であっても問題無い。
>>全てを文法に押付けるのではなく、一部を音變化として説明する方が、却つて簡潔な體
系となるでせう。
音の変化が文法と関係ない理由が不明な文である。159わ説明されたい。
もしも簡潔であって書き言葉独自の体系が欲しいなら、活用お無くした表記おすればよい
。
現に活用わ減ってきているのだし、意味不明にもならないだろう。
>>161 >>歴史的仮名遣いの全体を見て,「語ごとに書き分ける」ことの何割が,「簡潔な體系」
のために役立ってるかが問題だよね。
簡素な体系と言うものの内、活用についてわ、
活用しない名詞・副詞・連体詞が原理的に活用がこれ以上簡潔にならないので、
表音表記しない根拠になりません。
従って、活用の簡潔さお根拠に「舊假名遣ひ」お支持できるわけがありません。