>>70 訂正 「見なしている」→「見なしてゐる」
>>71 > ならば、歴史的説明においては從來通り「音便」で構はぬわけだな。
勿論。
> そんなことを言ひ出せば、例へば、活用表で「書か-ない」「書こ-う」を
> 同じ未然形に入れるのも歴史的觀點からの處理に過ぎないのであって、
> 共時的立場からは別物にすべきことになる。
口語文法も歴史的仮名遣で書けないわけではなく、「書か−う」と表記すれば、未然形は一つになる。
しかしだからといつて、連用形に「書い−」を挙げずに済ませることはできないだらう。
「書いて」といふ形を、イ音便に由来すると説明するのはよいが、現代語においてもイ音便だとはならない。
> 「形態音韻論は、むしろ通時的立場に立った時の方が有効な考え方である」(木田章義)
そんなことはない。工夫すれば共時論で十分記述できる。
> 「ある語が他の語と結合する場合に」といふ條件を削れないわけでもあるのか。
「あした」が「*あいた」とならないのはなぜかが説明できない。
>>73 > 活用表に含めてはいけないと小松英雄は書いてるな。
それはまた徹底してゐる。韓国語式か。しかしローマ字を使ふならまだしも、仮名で書く文法では無理があるだらう。